「 日本を温かく見る扶桑社の歴史教科書の採択を喜ぶ 」
『週刊ダイヤモンド』 2002年8月31日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 459回
愛媛県教育委員会が、来春開校する3つの県立中学校で扶桑社の歴史教科書を使用することを決めた。採択を文部科学省への報告期限ぎりぎりの8月15日に設定したのは、余計な妨害を防ぐためだったと、県の教育総務課長西山氏が説明してくれた。
井関和彦教育委員長ら6人の委員全員が採択理由を述べている。
6委員が挙げた理由は、日本の文化、伝統を広い視野から考えさせている、日本を温かく見つめている、その時代その時代の出来事を現代の価値観で測ろうとしていない、歴史上の人物が具体的に描かれ、歴史に関心を持たせてくれるなどだった。
日本人が日本の歴史を温かい目で見つめるのはとてもよいことである。昨年、扶桑社の教科書をめぐって烈しい反対論が渦巻いたときに、私は扶桑社の教科書を含めて教育出版の「中学社会、歴史」など7~8冊を読んでみた。内容は驚くほど日本に批判的で、これはいったいどこの国の教科書かと考え込まされた。韓国や中国の教科書であっても少しも驚かない、むしろそのほうが自然だと思った。
そして韓国の歴史教科書も読んでみた。こちらは国定教科書であるから一種類のみだ。韓国の子どもたちは全員この教科書で学んでいる。
それを読んだとき、ひどい内容だとは思ったが、同時にこれが韓国のおとなたちが自分たちの子どもや孫に語り継ぎたい歴史なら、それはそれでよいだろうとも考えた。日本人から見れば神話時代の古朝鮮が実在した国のように書かれていたり、実在しなかったその国がありえないほどの地域を支配していたことになっていて、史実に反すること甚だしいのだ。
韓国政府は日本に対して神話を強調することは好ましくないと抗議したが、韓国は強調どころか、悪くいえば、捏造しているのだ。それでもしょせん、神話の世界の話だと、私は考えた。
だが、時代が下るにつけ、韓国の教科書の対日批判は、深刻な問題を突き付けてくる。こんな教育を施された韓国の子どもは、おとなになってどんな敵対心を日本に抱くかと心配になる。
たとえば日清戦争へとつながる東学党の乱のことである。韓国の教科書では、そのときに出兵したのは日本、としか書かれていない。「軍隊を派遣した日本は、この機会に侵略の足がかりを得ようとした」とのみ書くのだ。そこには中国の出兵は登場しない。清国の派兵を書かないのは関が原の合戦には東軍しかいなかったと書くようなもので意味をなさない。しかし、こうして、日本は一人悪者にされている。
また、自主独立の意識の高まるなかで「独立新聞」が刊行され、ハングルで書かれていたと紹介しているが、福沢諭吉が韓国の一般民衆のためにハングルで新聞を刊行すべく努力したことにひと言も触れていない。
それどころか、大韓毎日申報の発行には英国人ベッセルが力を貸し、日本の侵略に反対する論説を掲載し、韓国の民権意識を呼び起こしたなどと紹介している。
金玉均という開化派の人物は、韓国で改革に失敗して追われたあと日本に逃げる。福沢諭吉は最後まで彼を支援するが、彼は上海で暗殺された。韓国の教科書はここでも金玉均への福沢らの支援にはひと言も触れないのだ。
日本人として読めば強い違和感を抱く。しかし、それも、韓国のおとなの立場に立てばわからないでもない。韓国にもっと余裕が生ずれば異なる教え方をするだろう。
外国の教科書でこんなふうに書かれている日本を温かい目で見て、もっと正当に評価する作業は、私たち日本人こそがやらなければならないことだ。その意味で、私は扶桑社の教科書の公立学校での採択を嬉しく思うのだ。